発見されてから現在まで、ダイヤモンドほど人々を虜にしてきた宝石はありません。それゆえ婚約指輪に相応しいとされ、また、多くの伝説も残してきました。
この記事では、世界最古のダイヤモンドとして知られ、現在はイギリス王室の所有となっている「コ・イ・ヌール」の歴史をひもといてみましょう。

■男性に不幸をもたらすダイヤモンド
ロンドンの観光名所の一つとして知られるロンドン塔。その中にある「クラウン・ジュエル」にはイギリス王室の財宝が展示されています。ここには5つの王冠がありますが、そのひとつに世界最古のダイヤモンドといわれる「コ・イ・ヌール」が飾られています。

この王冠を身に着けたのはエリザベス皇太后(エリザベス女王の母)。夫であるジョージ6世(エリザベス女王の父)の即位後の戴冠式のときでした。この世界的に有名なダイヤモンドが王ではなく、王妃の冠に飾られているのにはちょっとした秘密があります。それはこのダイヤモンドが「男性に不幸をもたらす」と言われていたからでした。

■ムガル帝国の皇帝に引き継がれた伝説の宝石
ダイヤモンドの産出国といえば南アフリカやブラジルが有名ですが、最初に発見されたのはインドでした。ですから、「コ・イ・ヌール」の物語もインドから始まります。
発見された当時の大きさは1000カラットもあったとの話もありますが、定かではありません。また、初期の来歴もはっきりしませんが、16世紀にはインドのムガル帝国を打ち立てたバーブルが所有しており、その後、歴代の皇帝に引き継がれました。

■「ペルシアのナポレオン」が名付け親に
ムガル帝国はタージマハルの建設で知られるシャー・ジャハーンやアウラングゼーブの治世に最盛期を迎えますが、その後徐々に衰退。1739年にはイラン(ペルシア)のアフシャール朝の創始者であるナーディル・シャーに攻められ、デリーが占領されます。ちなみに、ナーディル・シャーは侵攻によって広大な領地を手に入れたことから「ペルシアのナポレオン」とも称されています。

ナーディル・シャーはムガル帝国の財宝を手に入れますが、その中には「コ・イ・ヌール」は含まれていませんでした。ダイヤモンドはムガル帝国皇帝のムハンマド・シャーが自身のターバンに入れて隠し持っていたのです。

なんとしても「コ・イ・ヌール」を手に入れたかったナーディル・シャーはムハンマド・シャーと面会し、友情の証しとしてターバンを交換することを提案します。こうして、ダイヤモンドはナーディル・シャーの手に渡りました。ダイヤモンドをみた彼がそのあまりの大きさに、「コ・イ・ヌール!(光の山だ!)」と叫んだことからこの名がついたといわれています。

■ヴィクトリア女王へ献上され、イギリス王室所有に
「コ・イ・ヌール」はこの後ペルシアやインドの権力者の手を転々とし、ムガル帝国から独立したシク王国の手に渡ります。当時のインドにはイギリスが進出しており、シク王国との間に戦争が勃発。これに勝利したイギリス(東インド会社)は、戦後賠償の一部として「コ・イ・ヌール」を手に入れたのでした。

「コ・イ・ヌール」はヴィクトリア女王に献上され、1851年のロンドン万国博覧会に出品。噂を聞きつけた人々が押し寄せましたが、評判はあまり芳しいものではありませんでした。というのも、「コ・イ・ヌール」は大きさこそあるものの、未熟なカットだったため思ったほど輝きが少なかったからです。

そこで、ヴィクトリア女王は当時最先端のオーバル・ブリリアント・カットに研磨し直すことにしたのです。そのため、186カラットもあったダイヤモンドは109カラットになってしまいましたが、輝きは増し、その名声はヨーロッパ中に轟きました。

ヴィクトリア女王は研磨し直した「コ・イ・ヌール」をティアラに飾ったり、ブローチにして身に着けたりなどして愛用しました。

インドやペルシアの男性権力者たちには不幸をもたらした「コ・イ・ヌール」でしたが、ヴィクトリア女王は大英帝国の繁栄を築き上げました。男性には無慈悲なダイヤモンドでしたが、女性には幸せをもたらしてくれるよう。イギリス王室では女性のみが身に着けることができる宝石とされているのは、やはりこの「男性に不幸をもたらす」という言い伝えがあるからでしょうか。

ダイヤモンドは天然の鉱物で、それをカットして一つ一つ研磨するため、世界に一つとして同じものはないといわれています。ふたりにとっての「コ・イ・ヌール(光の山)」を見つけて、オリジナルの婚約指輪、結婚指輪を手に入れてみてはいかが?

参考文献
北出幸男『宝石伝説』青弓社
海野宏『宝飾の文化史』筑摩書房
『愛のヴィクトリアンジュエリー』平凡社
辛島昇監修『インド』新潮社